「フォーリンダム子」考察

 

(1)何故、最後まで明かさなかったのか

 

連載当初は一切語られなかったが、KZB26巻で明らかになったホロホロの過去。
それはかつての友人・黒部民子(ダム子)との死別だった。

 

 

■明かす必要のない過去

 

そんな過去を、彼は物語終盤の十祭師・カリムとの戦いの中でやっと仲間たちに告白する。
しかしそれは最後まで自発的なものでなく、カリムに導かれての告白だった。

彼は最後まで自らの口から自分の過去について語ろうとしなかった――何故?

 

「こいつは 俺の問題なんだ」

(第229廻「VS MAJICAL PRINCESS」)

 

5人の戦士はそれぞれ、心のうちに闇を抱えている。

 

人類の脅威であるハオを双子の兄に持ち、幼少時は鬼の子と忌み嫌われていた葉、

人を憎み続け、多くの人間・そして十祭師クロムを殺害した蓮、

ハオに両親を殺され、復讐に囚われ続けるリゼルグ、

かつてギャングだった頃にミュンツァーを殺害し、その子ども達に仇討ちされたチョコラブ。

 

ホロホロ以外の4人の過去は、そのすべてが本編に深く関わっている。

 

葉は敵であり兄であり人間の脆弱さの象徴であるハオの救済、

蓮とチョコラブは己が罪の受容、

リゼルグは復讐の連鎖への対峙。

 

これらは「シャーマンキング」という物語の軸となっている「心の強さ」を構築するための要素だというのが私の考えです。

しかしホロホロの抱える闇は、物語前半及び初登場時などに明確にする必要性があまりありません。

その頃、本編では葉と蓮を軸にした物語(SF予選〜道家編)が展開されており、ライバルである蓮の救済がメインでした。
陰鬱、そしてユルくなりがちな物語の中で、ツッコミ・ムードメーカー的存在の彼にまで暗い過去の設定をつけてしまうのは完全な蛇足です。

その後続々と現れる、ハオやリゼルグ、X-LOWS、チョコラブと言った面々、明かされるそれぞれの過去や因縁はどれも陰惨で複雑なもの。

特に葉とハオの関係が明らかになったことは彼らにとっては大事件でした。 

ここから物語は葉とハオを主軸にとし、「誰がシャーマンキングになるか」から「どうやってハオを倒すか」という視点で動いていきます。

そしてハオを起因とした出来事が次々と起こり、多くのシャーマンの個々の問題についてクローズアップされました。

物語の展開上、‘そうである必要があった’のです。

 

彼が過去を明かさなかった、一つめの理由。
彼は自分の過去が物語(=SFの行く末)に直接関係していないことを自覚していた、だから明かさなかった…のでは?

 

 

 

■彼はなにを恐れたか

 

「どうだ最低だろこれがオレの正体なんだよ!!」

「まぁナンボでも失望してくれてかまわねぇ」

(第288廻「フォーリンダム子」)

 

過去を吐露したあとに言い放った「最低」と「失望」の言葉。

彼が彼女を殺した、というのはあくまで「意図せずきっかけを創ってしまった」わけであって、
真相を聞いた葉たちが彼に対して「最低」と思ったり「失望」したりするとは考えにくい。

 

「オレは最悪なオレに絶望した」 (同廻)

 

幼い彼が自らを否定するのにも「最悪」「絶望」という言葉を用いていました。

最後まで「正体」を明かすことを彼に拒ませたのは、おそらく次の3点。

 

1)村の掟の違和感に気付きつつ従った結果、大切な友人を亡くしてしまった自分の愚かさ

2)自然と人間の調和を掲げながら、シャーマンと人間を差別していたという矛盾

3)心のうちの罪悪感にけじめをつけないまま5人の戦士としてハオを救おう(倒そう)としたこと

 

これらはそれぞれ、

1)葉を始めとする友人と出会って人の温かさを知ったが、それまで重ねてきた自分の罪に苛まれる蓮(後悔と罪悪感)

2)師との出会いで心の平穏を取り戻したが、復讐の連鎖に苦しんだチョコラブ(清算できない過去)

3)復讐で自分の正義を貫くつもりだったが、善悪の区別に混乱したリゼルグ(迷いある心)

 

葉以外の3人が長い時間をかけて対峙していた心の闇と共通点があります。

そして全ての問題について、ホロホロは第3者として行く末を見守っていました。

もちろん彼なりに答えも出ていたはずです。

一方で、すでに自分以外の仲間達が克服した課題を、彼は最後まで昇華できずにいたのです。

 

彼が彼自身を許さない限り、他の4人がいくらフォローをしたところでその闇は拭えない。

そしてそれができるのはダム子だけなのだが、肝心の彼女の魂はもうこの世にはいない。

(彼女はコロポックルになるために努力していたわけだが、それをホロホロは知らない)

シャーマンであるにも関わらず、魂となっているダム子に会えないまま過ごしてきた時間が彼にとっていかに辛いものだったかは想像に容易いものです。

 

SFまでの5年間、そして物語終盤まで、彼は絶えず自責の念を抱いていた。

その中で得た葉を始めとする大事な友人達は、孤独だった彼にとって大事な存在になった。

しかしそんな彼らに自分の「正体」を明かすことで、

彼らにすら自分を否定されてしまったら、もう彼の心の拠り所はなくなってしまう。

心の闇=弱さは、自分一人で決して抱えきれるものではない。

アンナやハオやチョコラブの様に、他者の介入無しでは拭われない闇を人は少なからず持っている。

だけどそれは、第3者のアプローチで引き出されるか、もしくは自分でSOSを発信しない限り、まず拾われることはない。

 

ハオについて、

 

「要するにあのヤローは究極のかまってちゃんって訳だな」(第290廻「猫は寂しい人間になつく」)

「さみしいならさみしいって素直に言いやがれ!」(第298廻「シャーマンキングGOD END PARTU」)

 

と言い放つ彼からは、決して他人に自分の心の内を中途半端にひけらかすような性分ではないことが分かります。

言いたいことは隠さず言う、言えないことは最初から言わない。そういう気質なのです。

 

話を戻します。

 

大事な友人を失うという経験、これは葉とマタムネにも共通することです。

しかし葉にはマタムネとの別れのあとにアンナが残り、喪失の後に守るべき大切なものが生まれました。

逆にホロホロは、誤解も解けないままダム子を失いました。

さらに魂にすら会うこともできず、謝罪すらできない。

SFで彼は多くの友人を得ましたが、同時にそれは喪失のリスクを伴います。

蓮が死亡した時も、ホロホロはハオ組に手も足も出ない自分を酷く呪いました。
(チョコラブが死亡した際には割と落ち着いていましたが、その時には蘇生という手段を知っていたのでそうなったのではと)

その衝動が、珍しく頭脳戦で勝利する結果となった、後のブロッケン戦での戦いにも表れています。

ここで彼が戦わなければ、友人であるICEMENの3人を失くすことになったからです。

 

過去の喪失感を再び体験しないために。

 

これが、彼の心を頑なに閉ざした理由のもう一つなのかもしれないと、思うのです。

 

だから彼は、葉たちに言われる前に、「最低」と「失望」と自分で自分を否定したのではないでしょうか。

またその時の様子はまくしたてるようなもので、間には葉たちが否定する間もない。

「言われなくても、そんなことは自分でわかっている」とでも言うように、やはり誰かに否定される前に、自分で自分を責めたのです。